プレゼンするなら技術の話だろう!

卒業制作は、作るだけでなくプレゼンの機会が設定されており、

全部で3回、他学科、1年生の前で発表する。

 

第1回目は10月上旬に決まり、そろそろプレゼンを

作り始めよう、、、なのだが。

 

毎年の心配は「なぜこれを作ろうと思ったかというと、、、」とか

「〜の理由は、、」とか、いわゆる子どもの学習発表モード。

 

「んな事聞いてねーんだよ」

「知り合いでもない奴が思ったことなんか知るかー」

と、思うだろう、普通。

というか1年前、まさにそう思ったはずだ、、、

 

しかもプレゼンの持ち時間は短いので、そんな事しゃべっていると

肝心の技術的な取り組みを説明する時間がなくなる。

 

考えたことを話したければ、複数の選択肢があった中で

この方法を選んだ理由、ならまだわかるんだが。

テーマを選んだきっかけなんて、そんな個人的なことを

みんなに告白してシェアしてどないすんねん。。

 

 

というわけで、クラスではその手のトークは厳禁。

意味ないことは悪である。とゆーておるのだが。

 

去年からくどく言ってきたので、それはないと思うけど

頑張ったこと、考えたこと、やってみたことをしっかり

喋れるかな〜

 

 

油断すると最終的な成果、たどり着いたものだけを

話してしまうのは、日本の教育に問題あると思う。

 

スポーツでも「結果が出なかった」とか生意気な表現を

テレビで使う。当たり前のように、それが大事かのように。

 

違うだろーが。メダルじゃなくて、アスリートが

どんだけすごい事をやってるか。並外れた才能と努力の塊を

ちっこい円盤で評価すな。

 

ひとりの人間が、そこに全てを懸けて努力することが

どれほどすごいか素晴らしいか、そこに注目せんかい。

 

メダル取れなくてごめんなさい的な、くだらんセリフを

言わせようとするインタビュアーを見ると、「誰かしばき倒せ」

といつも思う。

 

感動ごっこ滅ぶべし。

 

というわけで、クラスでは「思い」「こだわり」禁止。

ついでに「頑張る」のも禁止。がんばらず、普通にやれ。

一瞬だけ特別にやらず、ずーっとやれ。

 

技術にどう取り組んだか、立ち向かったか、

困難にどう対応したか、工夫したか、

教わってないスキルをどう身につけたか、

そこをしっかり話さんかい。

 

それは聞いてる人間にとって有益な情報であり、

貴重な疑似経験であり、

技術に対する姿勢を学ぶ機会であり、

めっちゃ有意義な時間になる。

 

ひとに貢献できることが素晴らしく、

幸せなことだと、わかっとかんといかんじゃろ。

 

あぁだから、「勇気」と「共同体感覚」だよなぁ。

アドラー必修にするべきだ。

 

まぁ学生を扱うときのベースにしとるけどな。

やれやれ。